夢中の無



彼に再会したのは、学祭だった。


わたしは、講堂で行われるある大会の準備係だった。
準備が済んで、客席で出場者の応援をしていた時のことだった。
偶然隣にいたその人が、決して忘れることのない彼だった……。

「あっ……」

一目見て、吃驚して小さく声が漏れた。
彼はわたしを見て、微笑った。

久しぶり、とか、そんな挨拶を交わした覚えはなく、どういうわけか自然に会話をしていた。
そう。それは、まるで最後に会った時からたいして時間が経っていないような。

「ここに通ってたなんて、全然知らなかった」

学祭とは、学外からも多くの人が来る。
しかし、彼は外の人間ではなかった。
知らなかった分、驚いて、同時にとてつもない嬉しさが生まれた。
嬉しくて、いろいろな話をする。

あの頃から、何も変わってはいない。
彼の口調も、浮かべる表情も。
見た目も、あの頃のままだった。


彼と共に時を過ごしていたのは、中学の時。
2年の時には、クラスも同じだった。
1年生の時から3年生の夏まで、同じ部活に所属し、
先輩が引退して、我々が部活内の最上級生になった時、彼は部長になった。
いつもはそれなりに入部者数が多いのに、我々の学年の人数は少なかった。
その中で、男子はたった3人。
彼は、その中の1人だった。
彼は決して生真面目な人間というわけではなかったが、リーダー的な役目は今考えても向いていたと思う。
故に、部長に選ばれたのであろう。

そんな彼と、わたしはかなり親しかった。
部活の同級生と一緒に過ごす時間が多かったが、その中に彼がいると、その時間は本当に楽しいものだった。
わたしは、彼のことが好きだった。
彼がわたしのことをどう思っていたのかは知らない。
どちらかと言えば好意を持って接してくれていたように思う。
もしかしたら……と思うことはしばしばあったが、それはある誰かに特別な想いを寄せたことのある人間なら、誰だって良い方に解釈してしまうそれに過ぎなかった。
『好意を持って接してくれていた』と思うそれでさえ、その一部じゃないかとも思う。

しかし、結局彼とは『普通より少し親しい友達』のままで、卒業を迎えた。
わたしも彼も、高校に進学したが、当然ながら別の学校で。
家もそんなに近くはなかったので、地元でばったり出会うということもなかった。
年賀状をやりとりするほどの親しさでもなく、彼とは本当にそこで終わってしまったのだった。


終わったはずだった時間が、また流れ出した。
同じ大学にいたなんて、知らなかった。
大学というのはとても広い場所だから、学部が違えば誰がいるかなんてほとんどわからない。
入学して数年経っての出会い。
出会いというより、再会。
わたしの中で、彼はあの時のままで止まっていた。
わたしの彼に対する想いも、あの時のままで止まっていた。
再会した彼は、あの頃のままだった。
それがこんなにも、嬉しい。

あの頃と同じように話し、
あの頃と同じように笑い、
あの頃と同じようにじゃれ合った。
不意に触れた彼の髪は、あの頃と変わらずストレートでやわらかかった。
彼はわたしの胸に、軽く頭を凭れさせてきて……
あの頃は、こんなことをすることはなかったから、少し驚いたが、わたしはその頭をゆるく抱いた。
触れるのも触れられるのも
許してくれることも許すことも
芯がほんのりとあたたかくなるようにとんでもなく心地良い。
………………こんな風に、過ごしていたい。


大学は、我々の実家からかなり遠かったから、言わずとも、お互い独り暮らしをしているだろうと無意識下で考えていた。
食事はちゃんと摂っているのか、という話になったんだと思う。

「作りに行ってあげよっか?」

半分くらいの気持ちで言った。
彼は「来る?」とだけ、笑顔で答えた。
そこから、どんな風に話が展開したのかは忘れたが、この後、わたしはとんでもなく大胆なことを口にした。

「泊まっても、いい?」

何故、自分からこんなことを言ってしまったのかはわからないが、おそらくそれは本心。
彼と一緒に、いたかった。
もっと触れて欲しかったのだろう。
彼はそれに対し、たいして驚きもせず、いつもの調子でこれまたとんでもないことを言った。

「オレの……を、きれいにしてくれたら」

その言葉の意味するところは、深い男女の関わりである。
自分もそれを心のどこかで望みながら……しかしいざ彼の口から言葉として表されるのを耳にした途端、一気に現実へと引き戻された。

それはできない。
してはいけないことなのよ。

幸せな時間は終わりを迎える。
彼に「やっぱりダメだ」と告げた。
そんなこと言わないで、さあ……という、行為を許すことを促す意味だったのであろう。
彼はわたしに、キスをした。
強い口づけを、わたしは慌てて振りほどいた。
本当は、ずっとそうしたくて、受け入れたかった。
しかし、わたしの堅固な理性は、それを許さない。
愚かなわたしは、情けなく笑っていたと思う。
黙って彼に、左手の甲を向けた。
それを見て、彼がこれ以上なく驚いた顔をする。
目を見開いたままの彼を置いて、わたしはその場から離れ、講堂から外に出た。




わたしは、本当に彼のことが好きだった。
それは、幼い恋だった。
毎日学校に行き、彼に会えて、楽しく話ができれば至福だった。
彼は、わたしのことをどう思っているのか。
この想いを伝えようか、どうしようか。
告白した返事が、自分が欲しい答えと違うことを恐れるだけで過ごす。
恋心に関して、それだけが全てだったその頃。
もしも、受け入れてもらえたら……。
触れ合って、キスをして。
その先のことは、何も考えていなかった。
奥手で知識がないから、考えられなかった。
あまりにも、純粋で純真で純朴な恋。

その先を知ってしまった今。
想いを交わせば、その先に進まざるを得なくなる。
どうしても、それを欲してしまう。
そうなる前に、止めておかねばならない。
わたしはもう、生涯の伴侶を決めてしまっていたから。

大切なあの人を、傷つけるわけにはいかない。
わたしに向けられる誠意を、踏みにじってはならない。
あの人がわたしに最上級の誠意を向けている以上、わたしもあの人に、同じものを向けていなければ。




…………まだ伴侶を決めていない時に、彼に再会できれば良かったのに。








2003.2.11