ずいぶん昔から頭の中にあるオリジナル話。
の最後の部分だけ無性に書きたくなって吐き出したもの。
これもちゃんと形にすることはないと思う……。

あえて解説はなしで。タイトルはつけてません。




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入試当日の朝。
いつもより早めに家を出て、試験会場に向かう。
冷たい空気が顔の肌を刺すようで、修は思わず歩みを緩めた。

と、そこへ、亜利沙が舞い降りてきた。

舞い降りてきた、と言っても、突然目の前に現れたのに等しい。それまで姿を消していて、修の目の前で姿を見せたという感じだった。「舞い降りてきた」と思ったのは、姿が見えた瞬間、背中にその蒼い翼をしまうのが見えたからだ。

「おはよう。寒くないの?」

自分が寒いから、肩と背中が露わな亜利沙の服装は、自分が感じる寒さを倍増させた。ブルッと震える修を見て、亜利沙はくすりと笑った。

「いつもこれだから。大丈夫よ」

そう亜利沙は言ったが、本当は違う。
現実界の熱は感じないとか、この身体は『肉体』ではないとか、いくつか理由があったがそれはもう言わなかった。

「でも、寒そうだよ……」

あまりに修が気にする様子なので、亜利沙は「じゃあ……」と、しばし目を閉じて念じた。
すると、寒そうだった肩に、あたたかそうなコートが掛かった。

「これでいい?」

こういうことには慣れたと思っていた修だったが、やはり間近でやられると驚いてしまう。
修は、目を見開いたままぎこちなく頷いた。

そのまま、2人は並んで歩いていた。

「いよいよ、今日ね」

亜利沙は、入試のことを言った。

「間に合って良かった」

人間が巻き込まれるはずのない騒動に、修を巻き込んでしまった。
出会ったのは、受験勉強の追い込みをしていた時……忙しい身でありながら、亜利沙に協力してくれた。

「うん。君の方も、無事に終わってよかったね」

亜利沙にニッコリ笑いかけながら、心底そのことを喜んでいる様子で修は言った。

(まったく、この人は……)

迷惑をかけたのは亜利沙の方なのに、決してそれを責めることはなかった。自分も大変な身だというのに、亜利沙のことをまっさきに気に掛けてくれ、行方不明になった生物達を一緒に捜してくれた。

(本当にいい人…………でも…………)

用事が済んだ今、亜利沙は現夢界に帰らなければならない。
別れを言うために、今、修の前に現れたのだ。
だが、修の顔を見た瞬間、急に何かが胸に込み上げてきて、言おうとすると言葉に詰まってしまう。

「それで……君はこれからどうするの?」

修の方から言われ、亜利沙は飛び上がらんばかりに驚いた。

「え?……あ……その…………もう少し、他に幻想界から逃げ出した生物がいないか見回って…………それから…………」

「帰るの?」

またもや驚いて、亜利沙は修の顔を見た。
驚いた顔をしている亜利沙を、修はきょとんとした顔で見ている。

「………………うん……」

俯いて返事をした亜利沙の横で、修は溜息を吐いた。

「そうか〜〜やっぱりそうだよね……亜利沙は人間じゃないんだもん。用事も済んだし、ここにいる理由がないもんね……」

残念そうな口調ではあるものの、修は亜利沙ほどはそのことを気にしていないようだった。
『帰るのが当たり前』だと、最初から思っていたのだろう。

「そう…………だから、お別れを言いに来たの」

亜利沙は、思い切ってついにその言葉を口にした。
すると、今度は修の方が驚いて亜利沙を見た。

「え! 今すぐ帰るわけじゃないんだろ?」

「そうだけど……もうここには戻らない。また迷惑を掛けちゃいけないから……見回って、何も異常がなかったらそのまま帰るし、異常があってもちゃんと解決して帰る。いつもそうだから」

その言葉を聞き、修はしょんぼりと肩を落とした。どうやら修は、亜利沙が見回りを終えたら、もう1度ここに戻ってきて、それから帰ると思っていたようだ。
全くもって勝手な思い込みではあるが、ここ数日ずっとそうだったから仕方がない。

修は、ぐっと顔を上げると、意を決したように亜利沙に言った。

「じゃあ……ここでお別れだね。ありがとう。色々あったけど、楽しかったよ」

朝日に照らされた修の顔は、晴れ晴れしく見え、亜利沙は思わず目を細めた。

「そんな……お礼を言うのはこっちの方なのに。ありがとう、手伝ってくれて……」

亜利沙はふと思いついたような表情をすると、修の正面に立った。

「最後に『おまじない』をしておいてあげる。今日の試験、修の力がちゃんと発揮されるように……」

そう言って、亜利沙はなにかを唱えながら、修の前の宙に字を書くように、指を動かした。
修は、不思議そうにじっとそれを見ていたが、亜利沙が何か言う度に、頭の中にじわじわと何かが染みこんでくるような気がした。
それが済むと、亜利沙はふわりと宙に浮いた。いつの間にかコートはなくなり、蒼い翼が広げられている。

「じゃあ……もう行くね。本当にありがとう。さようなら」

少しずつ高度を増していく亜利沙に、少し慌てたような口調で修は言った。

「また会える?」

亜利沙は、それに答えることはできなかった。代わりに、にっこりと微笑を投げかけた。

「試験、がんばってね」

それだけを言って、空に溶け込むように消えた。

「亜利沙ー!さようならー!」

冷たい朝の空気を、修の声が震わせた。
修は、亜利沙が溶けた空を、いつまでも見つめていた。






「遅いぞ、修!」

試験会場に駆け込むと、すでに着席して準備を整えた明が言った。

「遅刻するんじゃねーかとヒヤヒヤしたぜ」

受験票を手に番号を確認すると、修の席は明の後ろだった。椅子に座ってカバンから荷物を取り出し、用意しながら修は答えた。

「あはは。ちょっと色々あってさ」

「ったく……寝坊でもしたのか?俺なんかいつもより2時間も早く起きたってのに……」

「いや、早起きはしたんだけど……ちょっと、な」

「何だよ。気になるな〜その言い方。何があったんだ?」

「実はさ……」

修が言いかけた時、チャイムが鳴り響き、試験監督が部屋に入ってきた。

「後で話すよ」

そうして、受験生達は、入試に没頭していった。





ようやく試験が終わり、修と明は家路に就いていた。
試験が終わった直後から、ずっと試験問題の話をしていた。あの問題は簡単だったとか、あそこがわからなかったとか、お互いに答え合わせをするのに夢中になっていた。
一通りその話を終えたところで、明が朝のことについて切り出した。

「なあ。さっき『後で話す』って言ってたの、何だったんだよ?」

「ああ、それ? それがさ〜〜……………………………………あれ?」

「な、何だよ?」

修は、朝のことを思い出そうとした。何か特別なことがあって、それで試験会場へ行くのが遅れたはずである。少し嬉しい、でも寂しい、切ない気持ちになった何かがあった…………ような気がする……。
修はしばらく黙って考え込んでいたが、どうしても思い出せなかった。

「…………忘れた」

「はあ?何だそりゃ?」

もったいぶられた上に「忘れた」と言われた明は、困惑した表情を浮かべた。

その後も、修は思いだそうと考え続けた。しかし、考えれば考えるほど『忘れた』と言うよりは『特に何もなかった』という気がしてくる。
朝、早起きして家を早めに出たものの、駅に行くまでに……やたら時間が掛かった気はするが。
いつもは使わない道だったから、時間がかかったのか……。

その時、頭の上の木の枝から、鳥が飛び立つ慌ただしい音がして、修は反射的にそっちを見た。
数羽の鳩が、澄み切った青空へと飛んでいく。
ひらひらと落ちてきた羽根を何気なく受け止め、空と見比べた。
……その羽根は、少し青みがかったような色をしているように見えた。

「おーい!何ボーっとしてるんだよ!先行くぜ!」

数メートル先から、明の呼ぶ声がする。

「あ!待ってくれよ!」

修は、持っていた羽根をその場に落とし、明の後を追って駆けて行った。
落とされた羽根は、ひらひらと地上へと舞い落ちた。が、地上に着く前に、溶けるように消えた。
先程まで修がいた場所の真上の枝から、何かが飛び立つ音がした。
しかし、飛び立った鳥の姿は見えない。
蒼い空が、そこに広がっているだけだった。










2003.7.14