※タイトル未定※ 〜UTUKE!〜より

 
 
<ある日の蘭ちゃん>
 
 
映画を観て、散歩して、食事して……デートコースの終盤に入ったその店は、ホールの中央に大きなグリーンのテーブル……ビリヤード台が2つ並べて置いてある、お洒落なバーだった。
 
新一と並んでカウンターに座り、軽い目のカクテルを注文した。
 
今日1日を新一と振り返りながら、出された淡い色の液体を少しずつ口にしていると、後ろの方から時折軽い衝突音が聞こえてきた。
 
何気なく後ろを見ると、何人かの男の人が細長い棒を持って、グリーンの台の周りにいた。その人達が見ているのは、卓上のボール。一人が棒で白い球を撞くと、それは勢いよく他の球にぶつかり、ぶつかった球はテーブルの角にある穴に吸い込まれるように落ちた。
 
「上手いなぁ……」
 
独り言のように呟いたら、隣で同じようにその様を見ていた新一が言った。
 
「あれくらいなら蘭にもすぐできるさ。教えてやろうか?」
「え?新一、ビリヤードできるの?」
 
新一はニヤリと笑うと、グラスに残っていたカクテルを一気に飲み干し、空いている台に向かって歩いて行った。わたしも、それに倣って慌てて付いて行く。
店員と二言三言、言葉を交わし、新一は台の横に立ててあった棒を手に取った。
 
「ほら、蘭もキューを選べよ」
「キュー?」
「これのことさ。持ちやすいと思うのにしたらいいから」
 
そう言って、新一は立てかけてある数本の棒を指さした。
この棒のこと、“キュー”って言うのね。何かの鳴き声みたい。
とりあえず、手にとってみたけど、初めて触るのに持ちやすいも何もわからない。
いくつか手にとってはみたが、やはりわからないので適当に1本を持って新一のところに戻った。
 
「じゃあ、やりながら教えてやるよ」
 
そう言って新一は、台の上に9つのボールを、三角形の枠に入れて菱形に並べ、枠を外した。
そして、その菱形の頂点から少し離れたところに白い球を置く。
 
「基本的なルールは、この白い手玉を撞いて他の球に当て、ポケットに落とすこと。白い球は落としちゃダメで、的玉の方は番号順に当てて……」
 
新一の説明を聞きつつ、ふんふんと頷いた。ポケットって?あの穴のことかな?
色のついた球には番号がついてるから、その順番通りに撞いて穴に落としていけばいいのね?
 
「じゃ、オレから撞くから。見てろよ?」
 
そう言いながら新一は、棒……キューの先に何か小さいものを擦りつけて、その小さいものを台の縁に置いた。
そして、左手でキューの先を支えて白い球を狙う。
右腕が軽く動いた瞬間、軽快な音が響き、色とりどりの球が緑の平原に散らばった。
 
「じゃあ次、蘭の番な」
「えっ?わたし?」
「今はどの球もポケットに落ちなかったから、交代だ。ほら、キューの持ち方はこうで……」
 
それからは、新一に教えてもらいながら、それなりにビリヤードを楽しんだ。
思い通りに撞くことはなかなかできないけど、うまく球を穴に落とすことができると、気分はとても爽快だった。
 
7つ球が落ち、残るはあと8番と9番の2個。次は手玉の白い球を8番の球に当てなければならないのに、手玉と8番の間に9番の球がある。
 
「わあ。これは無理よね〜」
「そんなことないぜ?」
 
思わず呟いたら、すかさず新一が言った。
 
「え〜?あんなの、難しいじゃない。縁に当ててはね返さなきゃならないし」
 
直線で撞けばもちろん9番に先に当たってしまう。
9番に当てないようにするには、斜め左に撞いて、台の縁に当てはね返して9番を回避するようなコースにしないと8番に当てることはできない。
そんなの難しいと思うのに、新一には簡単なことなのかしら?
 
新一はすでにキューを構えていて、慎重に角度と力の加減を計っている。
思った通り、左の方を狙っているみたいだけど。
わたしは、固唾を呑んで見守った。
 
新一が勢い良く右腕を動かすと、思うより大きな音が鳴り、強い勢いを与えられた白い球は左の縁ではね返り、向こう側へ行ってしまった。
ほら、やっぱりうまくいかないじゃない、と思ったその時。
手玉は向こう側の縁ではね返り、こちらへ戻ってくると、8番の球に当たり、それにより動き出した8番の球が9番に当たった。
2つの的玉はそれぞれの方向へ動き出すと、やがて静かにポケットへと沈んだ。
 
「うわあ!新一、すごーい!!」
 
わたしは思わず拍手した。
 
「な?だから言ったろ?そんなことない、って」
 
どこか得意げにそう言いながら、新一は嬉しそうに笑っていた。
 
「すごいよ〜!新一がこんなにビリヤード上手いなんて、全然知らなかった!」
「まあ、蘭と一緒にビリヤードやることなんてなかったしな。小さい頃、ハワイの別荘にビリヤード台があってさ。親父に教えてもらってやってたから」
 
そうだったんだ。そんな話、初めて聞いたな〜。
確かに、ビリヤードのことなんて、なかなか話題にならないもんね。
 
「そういえば、あの頃はこんな風なゲームじゃなくて、適当に球置いて色んな撞き方して遊んだな〜」
 
新一は台の下に集まっていた球をいくつか取り、適当に台の上に並べた。
 
「例えば、こんな風にしてさ……」
 
台の上に3つ、ばらばらに置かれた的玉の間に、新一は白い球を置き、狙いを定めて勢い良く撞いた。
白い球が最初の的玉に当たると、その的玉は別の角度へ動き次の球に当たる。そしてまた角度を変えて最後の的玉を目指し、当然のように当たると最後の球はポケットに落ちた。
気がつくと、いつの間にやら他の的玉も穴に落ちていた。
 
「わあっ!すごい!!全部入っちゃったよ〜!!」
 
新一って、本当にビリヤード上手いのね!!
あんまり上手くてすごいから、無意識に声が大きくなって、わたしはすっかりはしゃいでしまった。
 
「こんなのもやったな〜〜」
 
昔を思い出すような仕草を見せながら、次々と新一はその華麗な技を披露してくれた。
縁に何回か当ててはね返して、球を元の位置で止めてみせたり、
手前の球を飛び越えさせて、後ろの球に当ててみせたり。
その度に、わたしは歓声をあげた。
 
「あら〜〜新一君って、すごいじゃないの」
 
不意に聞き慣れた声が聞こえて、わたしは驚いて振り返った。
 
「園子!?どうしてここにいるの!?」
 
腕を組んで新一の手元を眺め、その一連の動きが終わると、園子は言った。
 
「あんた達と同じよ。デートのコースだっただけ。まさか会うとは思わなかったけどね」
 
ふと園子の後ろを見ると、京極さんが軽く会釈した。その顔は少し照れたような表情に見えた。
それが何だか微笑ましく見えて、わたしは笑いながら軽く会釈を返した。
 
「にしても、すごいギャラリーね〜〜」
 
ギャラリー???
言われて周りをよく見ると、いつの間にか台の周りに人が集まっていて、新一の妙技を見守っていた。
わっ、こんなに人がいたなんて、今まで気がつかなかった……。
なんだか急に恥ずかしくなってしまい、わたしはその場から逃げるように、園子のそばへ駆け寄った。
 
「前に来た時、いい雰囲気の店だと思ったから来たのに。これじゃ、ゆっくりできないわねぇ」
 
確かに、わたし達が来たときに比べて、随分と人が増えたような……。
 
「だったら、私の知ってる店に行ってみませんか?ここのすぐ近くですし」
「そうね〜〜元々どっちに行こうか迷ってたし、そうしよっか。ねえ、蘭もおいでよ!」
「えっ?わたしも???」
 
まさか誘われるとは思っていなかったので、わたしは驚いて園子の顔を見た。
 
「そうよ!久しぶりに会ったんだしさ〜積もる話を聞いてもらわないと!」
「で、でも……」
 
せっかく京極さんとのデートなのに、邪魔しちゃ悪いわ。
わたしがちらちらと京極さんと園子の顔を見ていることに気付き、園子は小声で耳打ちしてきた。
 
(その心配は無用よ!真さんもね、空手の話したいみたいだから。わたしじゃ話聞いてもわからないことばっかりだけど、蘭ならわかるだろうって今日話してたとこなのよ)
 
「そうなの?だったら……」
 
久しぶりに会った園子ともうちょっと話したい、というのが本音だったし、わたしは園子の言葉に甘えて一緒に行くことに決めた。
 
じゃあ新一も一緒に………………
 
そう思って新一の方を見たら、まだ技の披露を続けているところだった。
すっかりビリヤードに集中してしまっている。
 
「…………なんか、話しかけられない雰囲気ね……。じゃあ、お店の人に伝言頼んどいて行こうよ」
 
とても楽しそうにビリヤードをしている新一の邪魔をするのが気が引けて、わたしは園子の提案に賛成し、バーテンさんに伝言を頼むと園子たちと店を出た。
 
本当に新一、楽しそうだったわね。
久しぶりにビリヤードができて、嬉しかったのね。きっと。
 
後で新一が来たらそのことも話そうと考えながら、わたしは園子たちと歩き出した。
 
 
 
<その後の新一君>
 
 
予想通り。
いや、予想以上の成果だ。
少し前にこのプールバーを見つけ、昔取った杵柄をここ数日で鍛え直し、そして今日。
あそこまで蘭が喜んでくれるとは思わなかった。
球がポケットに入るたびに歓声をあげて、手を叩いてはしゃいで。
 
『新一、すごい!!』
 
そう言ってくれる。
そうやって、蘭が喜んで楽しんでくれるのが嬉しいから、オレは次から次へといろんな技を蘭に見せた。
そしたら、また喜んでくれて……。
よし!じゃあ、次はこれでどうだ?
 
今まで、数個を適当に配置していろいろな技だけを見せていたが、オレはトライアングルラックを台の上に置き、台の下に集まっていた9個の的玉をまた菱形に並べた。
最初に蘭とやった、“ナインボール”のスタートの形だ。
ラックを外し、菱形の頂点……1番の的玉から少し離れた場所に手玉を置く。
キューの先をチョークで整え、それからおもむろに構えた。
左手でしっかりとキューの先を固定し、慎重に狙いを定める。
 
これがうまく行ったら、また蘭が喜んでくれるだろうな。
それも、今まで以上に……。
 
*『うわぁっ!!すごい!すごいよっ!!新一!』
 きっと今日いちばんの歓声をあげて、オレを讃えてくれるだろう。
 そして、感激のあまり抱きついてくるんだ。
 オレはそのやわらかくしなやかな身体を受け止めて、蘭に極上の笑顔を向けてやろう。
 そしたら蘭もそれに女神のような微笑で応えてくれる。
 次の瞬間、頬に蘭の唇が触れる。
 何よりも心地よい弾力を誇る蘭の唇が……。
 反対の頬にも触れた後、オレの唇に美しい花が触れる。
 おいおい、こんなところでやめろよな?皆が見てるじゃねーか。
 いつもなら、人前でキスするとお前の方が恥ずかしがって嫌がるのに、
 今日はえらく積極的だな。
 そんな風に我を忘れるくらい、嬉しかったんだな?
 じゃあ、もうこの店は出て、別の場所に行こうぜ。
 お前を思う存分愛してやれる、最高のスイートルームに……。*
 (0.03秒)
  
湧き上がった唾を飲み込み、息を止める。
その瞬間、右腕を素早く動かして白い手玉を撞いた。
球どうしが衝突する音が店内に響き渡る。
よし!絶妙なヒットだぜ!
さっき蘭とゲームした時のブレイクショットは、蘭も楽しめるように手加減して的玉を散らしただけだったが、今度のはさっきよりも強いショットだ。
手玉のエネルギーを受け、9個の的玉が方々に散らばる。
それぞれの的玉はクッションではね返ったり、的玉同士で弾きあったりして、それぞれのコースを走る。
その様を、息を呑んで見守った。
1つ、また1つと的玉がポケットしていく。
8個の球がポケットし、やがて最後の球もポケットに吸い込まれた。
「よし、やったぜ!!」
わああ、とギャラリーの歓声が上がる中、オレは思わずガッツポーズを取った。
 
『うわぁっ!!すごい!すごいよっ!!新一!』
 
と言って蘭が…………………………………………………………あれ?
後ろで見ていたはずの蘭が見当たらない。
いつの間にか集まっていた大勢のギャラリーに紛れてしまったのかと思い探してみるが、やはり見つからない。
 
「蘭?」
 
きょろきょろ辺りを見渡すオレに気付き、馴染みのバーテンが近寄ってくるとオレに耳打ちした。
(お連れ様はご友人と一緒に先に出られましたよ。こちらでお待ちしてるとのことです)
そう言って、小さな紙切れを渡してくれた。
そこには、ここから程なく近い、とある飲み屋の名前が書かれてある。
何が起こったのか一瞬ではわからず、オレの置かれた状況を把握するのにしばし時間がかかった。
この店で待ってるって?友人って誰だよ???
いや、それよりも……。
蘭……いつから見てなかったんだ?オレのプレー……。
 
「兄ちゃん、若いのにすごいねぇ!ずっと見てたけど、なかなかの腕前じゃないか。1ゲーム付き合ってくれないか?」
 
にこにこしながら、隣のテーブルでゲームをしていた中年の男が声を掛けてきた。
だーーー!!冗談じゃねぇ!!!お前に見せるためにやってたわけじゃねーんだよ!オレは蘭に見せるためにやってたんだからな!!!
 
「あっ、抜けがけはいけませんよ。僕だって彼と勝負したいんですから」
「あー!ずるい!オレも!」
「じゃあ僕も……」
 
最初に声をかけてきた男と一緒にゲームをやっていた別の男が割って入ってきたかと思うと、何か知らないが続々と見知らぬ野郎共がむらがってきた……。
 
「え?あ? いや、僕はこれで……」
「そう言わずに、待ってくれたまえ!」
「そうそう、固いこと言わずにさ〜〜ちょっとだけ……」
 
その中の2、3人が、オレの服を引っ張った。
おいこら!気易く触んじゃねーー!!!
その手を振り払い、強引にその場を離れようとしたその時。
 
「うわぁ!?」
 
この騒ぎでいつの間にか台から落ちていた、数個のボールに足を取られて、オレはその場にしりもちをついてしまった。
 
「ほらほら、ボールも行くなって引き留めてるよ?」
 
どっと観衆から笑いが起きる。
バーロー!んなわけあるか!!!
くっそ〜〜〜〜〜こうなったら、今笑ったヤツら全員その馬鹿面引きつらせてやるぜ!!!
 
「わあったよ!!そんなにオレと勝負したいなら、どこからでもかかって来やがれ!!」
 
 
………………やけくそで言った売り言葉に後悔したのは、メモに書かれた店にやっと行くことができた、この3時間後。
その店は、すでに閉店していた……。
そして、携帯に電話してみても蘭は出なかった。
そりゃそうだろうさ……もう夜中だもんな……蘭はもう家に帰って寝ているのだろう。
ぐっすり眠っている蘭が、携帯の呼び出し程度で目を覚ますとは思えない。
 
仕方なく家路に就きつつ自分の携帯を眺めていたら、新着メールが届いていることに気付いた。
蘭からだ。時間は……1時間前?
 
『園子たちと一緒だったけど、もう帰るって言うからわたしも帰るね。だから思う存分ビリヤード楽しんでね♪ 蘭xxx』
 
おいおい……やっぱりかよ!友人って園子のことだったのか。いつどこで会ったって言うんだよ。
…………明日、蘭に聞くか……。
 
オレは肩で大きくため息を吐くと、すっかり冷えた夜風に背中を押されながら、力無く歩いて行った。
 
 
 
 
おわり
 
 
 
2002.5.1