初夢
謹賀新年
『今年はもう、ねーちゃんモノにしてしもたらどないや?
ちっこーてもかめへんのとちゃうか〜?
あ、怒るな、怒らんといてや〜〜冗談は関西人の挨拶やからな!
でもな、ぐずぐずしとったら、他の誰かにねーちゃん取られてまうで〜?
ちゅーことで、今年もよろしゅうたのんまっせ〜♪』
「…………………………」
コナンの手の中には、平次からの年賀状があった。
雑然と力強い筆跡はいかにも平次らしく、一目見た瞬間に、コナンにはその送り主が誰なのかがわかった。
しかし、そこに書かれた文章を読み、コナンは血の気が引き、フリーズしてしまったのである。
「コナン君、どうかしたの?」
コナンの動きが固まったことに気付き、コナンの向かいに座っていた蘭が声を掛けてきた。
「あ、それ、服部君から?
ホントにコナン君と服部君って、仲いいよね〜♪」
年賀状の宛名のところに書かれてある差出人を見て、蘭はにこにことして言った。
「あ、歩美ちゃんから来てるよ。光彦君からも元太君からも。はい」
そう言って、蘭は自分の手元にあった年賀状をコナンに渡した。
「あっ!うん、こ、こっちにもホラ、蘭ねーちゃん宛てのがあるよ!」
コナンは平次の年賀状を隠すように、蘭から受け取った年賀状を重ねると、蘭の気を平次の年賀状から逸らそうと、手元にあった蘭宛ての年賀状を手渡した。
よく晴れた、元日の昼下がり。
コナンと蘭は、毛利家に届いた年賀状の仕分けをしているのである。
すっかり名探偵になった小五郎宛てに、今年はかなりの量の賀状が毛利家に届いていた。
その中には、もちろん蘭宛てのものもあり、そして、居候であるコナン宛てのものも混じっていた。
(バッカじゃねーのか、アイツ………!)
コナンは再び年賀状の仕分けをしながら、上目遣いで蘭の様子を窺った。
(あんな変なこと書きやがって……オレの手元にあってよかったけど、アレが蘭の方にあったら……)
蘭は先程コナンが渡した、蘭宛ての年賀状を見ていた。
もしも平次の年賀状が、蘭に見られていたら…………そのことが脳裏をよぎった瞬間、コナンは固まってしまったのだった。
(まあ、見られなくて助かったぜ……)
コナンは後で平次の年賀状を、蘭に絶対に見られないように廃棄処分してやろうと考えながら、もう一度蘭の様子を盗み見た。
「……?」
さきほどまで嬉しそうに自分宛ての年賀状を見ていた蘭だったが、今は妙な表情をしてはがきを見つめていた。
「……蘭姉ちゃん、どうかした?」
今度はコナンが蘭に聞いた。
「えっ!?べっ別にどうもしてないよっ!???」
明らかに『どうもしてな』くはない、動揺を隠せず早口で答える蘭の様子に、コナンは訝しげな目線を向けたが、蘭の手の中にある年賀状の宛名を見て、納得した。
蘭が今手に持っている2通の賀状……差出人の名は裏に書いてあるらしく、コナンの側からは見えなかったが筆跡でわかる。……園子だ。もう1通は…………?誰だろう……。
見覚えがあるような気がするが、コナンはすぐに思い出すことができなかった。
それでも、コナンに宛てられた平次の年賀状同様、園子がつまらないことでも書いて寄越したのだろうとすぐに想像がついたので、コナンはそれ以上、追求はしなかった。
(もう……年賀状に、こんなこと……!)
蘭はコナンが自分に向けていた、訝しげな視線が逸れたのを確認すると、コナンに気付かれないようにそっと息を吐いた。
(コナン君……見てない……よね……?)
ちらとコナンの様子を見ると、コナンは再び黙々と仕分けをし始めていた。
宛名だけを見て、手際よく仕分けをしている。時々、裏を返して見ることもあったが、それはコナン自身に宛てられたものばかりで、他の人……小五郎や蘭宛てのものは、決して裏を返すことはないようであった。
その様子から察するに、コナンは蘭が今手にしている、問題の2通の賀状も見てはいないようだ。
『A Happy NewYear!
今年は帰って来るのかねぇ〜アヤツ。
蘭が他の誰かと付き合い出したーとか、嘘でもいいから言ってみたら〜?
そしたら飛んで帰ってくるかもよ♪
マジでやってみたら?とりあえず相手は、そこのガキンチョでもいいじゃない♪
ま、とにかく、今年もよろしくね!』
園子のあの軽い口調が、そのままの通り文章に表されている。書いた本人も、本気で言ってるわけではなくいつもの調子で書いたのだろう。だから、園子のはまだいいのだ。
問題は、もう1通……。
『あけましておめでとう!
今年もよろしくな〜蘭ちゃん♪
ところでアタシ、ええこと思い付いてん!
蘭ちゃんが他の誰かと付き合い始めた〜とか言うたら、
工藤君飛んで帰ってくるんちゃう?
絶対そーやって!もしも電話で誰と付き合いだしたんやーって聞かれたら、
コナン君ってゆーとけばええやん!
いつも一緒におって、付き合うてるようなもんやし。あながち嘘ちゃうやん。
試してみてなー♪』
関西弁の文章は、遠山和葉である。
奇遇にも、内容は園子と同じ……。
違う点は、和葉の場合は園子のように軽口なのではなく、大真面目に本気である点である。
2人とも、蘭の良き友人であり、新一がなかなか帰らず寂しい思いをしている蘭のことを気遣ってくれているのである。
そのことは、ものすごく嬉しいし、ありがたい。
でも…………
どうして、相手がコナンになるのだろう?
年賀状の仕分けも終わり、お互いに見られたくない年賀状もさっさと片づけて、2人はリビングでぼんやりテレビを見ていた。
「お正月のテレビって、あんまり面白くないねぇ……」
特にすることもなくヒマを持て余していて、蘭はふと思い付いて立ち上がった。
「ヒマだし、書き初めでもやろう……」
「書き初め?」
「うん、冬休みの宿題なのよ」
ごそごそと部屋から書道の道具を引っ張り出してきて、蘭はリビングに広げ始めた。
「そういえばボクも書き初めの宿題あったなぁ……」
「え?1年生でそんなのあるの?」
低学年では習字の時間はなかったはずだと、思い出しながら蘭はコナンに言った。
「いくつか課題があって、その中からどれかひとつをやれ、っていう宿題なんだよ。だから、ボクも一緒に書き初めやっちゃおっかなぁ」
「うん、いいよ。一緒にやろうよ。どうせやるなら一緒にやった方が楽しいし」
斯くしてコナンと蘭は、なんだかんだと話をしながら墨を擦り、書き初めを始めた。
最初はこうした方がいいとかああすると良くないとか、和気あいあいとおしゃべりをしながら筆を進めていたが、次第に口数は少なくなり、真剣に紙に向かうようになっていた。
「…………どうもうまくいかないな……」
静かになってしばらく経ってから、コナンはぼそりと呟いた。
「え?どこが?」
その声に、蘭は顔をあげてコナンの作品を見た。
そこには、小学1年生が書いたとは思えない、実に綺麗な楷書で「おとしだま」と書かれてあった。下手をすれば、コナンの脇に置かれている、手本のプリントの字よりも綺麗かもしれない。
「すっごく上手じゃない!全然おかしくないよ!」
心底感嘆した蘭の声に、コナンは不満そうに答えた。
「どーしても、この最後の『ま』の、くるっとまわるところがうまくいかないんだ」
言われて見てみれば、なるほど、確かにいびつではある。
しかし、小学1年生でこれだけ書ければ、大会に出せば間違いなく入賞するだろう。
だがコナンは、どうしても気に入らないようだ。
蘭は試しに、書き損じた紙に『ま』と書いてみた。
特に苦労することなく、綺麗に書ける。
「……蘭姉ちゃんは、上手いなぁ」
蘭は普通に書けるが、コナンにはどうしても苦手な部分らしい。
それに、一度うまくできないと思うと、やればやるほど上手くいかないものだ。
「そう?ほら、こうして……」
くるっと、蘭は難なく書いてしまう。蘭の言う通りコナンもやってみるが、やはり上手くいかないようだ。
「じゃあ、一緒に書いてみよっか」
そう言って、蘭はコナンのすぐ後ろに座り、筆を持ったコナンの右手に自分の右手を添えた。
と同時に、コナンの背中に何かが当たる……。
(えっ…………!?)
確かめずともわかる、その温かく柔らかな感触の正体……添えられた右手の柔らかさも相まって、コナンの体温と血圧と心拍数は一気に上昇した。
「こうして……ここでちょっと力を抜いて、こう……」
そんなコナンの変化に気付かず、蘭は筆をコナンの右手ごと進める。
その動きに伴って、背中の感触も揺れる……。
最早コナンは、書き初めどころではなくなっていた。
「どう?コナン君、わかった?」
その声に、コナンはハッと我に返った。
「えっ?あ、あぁ、うん……」
慌てて答えた声は多少裏返っていた。
それを蘭は、別の解釈で受け止めたようである。
「うーん、やっぱり1回だけじゃわからないか……じゃあもう1回ね」
そして、同じことが繰り返される。
コナンはますます頭に血が上って、耳鳴りがするほど心臓の鼓動が激しくなっていた。
『今年はもう、ねーちゃんモノにしてしもたらどないや?』
コナンの血の上りきった脳裏に、平次の年賀状の一文が過ぎった。
『ちっこーてもかめへんのとちゃうか〜?』
動悸が激しい。コナンの身体を、沸騰せんばかりに熱い血潮が駆けめぐる。
『ぐずぐずしとったら、他の誰かにねーちゃん取られてまうで〜?』
(そうだ……いくら蘭が新一を好きだと言ったからって、強引に押し切られて蘭が他の誰かと付き合う……ということもあるかもしれないし……)
コナンはすでに、冷静さを失っていた。混乱した頭で考えるのは、自分勝手な理屈。
(そうなる前に、オレが手を打っておけば……!)
「くるっとまわって止める!わかった?コナン君?」
蘭の指導が終わり、蘭の身体がコナンから離れた。
離れかけた蘭の右手を、咄嗟にコナンは掴む。
持っていた筆がぽとりと落ち、今書かれたばかりの文字が汚される……。
「こ、コナンくん……!?」
急に腕を掴まれた蘭は驚いて、コナンを見た。
ゆっくりと振り向いたコナンの目が、鋭く蘭の瞳を射抜く。
尋常でないことを本能で悟り、蘭の心臓がどくんと跳ねた。
どうすればいいのかわからず固まった蘭に、コナンはフッと不敵に微笑んだ。
「わかったよ、蘭姉ちゃん…………どうすればいいのか」
コナンは身体ごと蘭の方を向くと、蘭の顔に自分の顔を近づけた。
コナンの吐息が顔にかかり、蘭の背筋をぞくぞくとしたものが這い上がってくる。
「こうすればいいんだ……」
そう言うと、コナンは自分の唇を蘭の唇に重ねた。
「!?」
突然のことに驚いたが、蘭は咄嗟にコナンを押しのけようとした。
しかし、コナンの身体はびくともせず、それどころか強く押されてくる。
(ダメよ、コナン君……!)
言おうとしたがそれは言葉にはならず、呻き声にしかならなかった。
離れようと蘭はじたばたと藻掻いたが、それ故に身体はバランスを崩し、押されてくるコナンの体重を受けて後ろへと倒れてしまった。
体勢的に優位になったコナンは、ようやく蘭から唇を離した。
荒い呼吸を何度か繰り返しながら、自分の身体の上に乗ったコナンを蘭は見上げる。
コナンは……嗤っていた。
「好きだよ、蘭姉ちゃん」
そう短く告げて、コナンは再び蘭に口付けた。
蘭の唇を割り、歯列をこじ開け、口内を貪りながら、先程背中に当たっていた柔らかなふくらみを、手で捏ねるように揉みしだいた。
蘭は呻き声を上げ、コナンから逃れようと身を捩り藻掻いていたが、その抵抗は次第に弱くなっていった。
(この柔らかな感触は、全部オレのモノだ。他の誰にも、触れさせない……!)
気が付くと、辺りは真っ暗だった。
身体を起こしてみると、つけっぱなしのテレビだけが煌々としていて、相変わらず正月番組が流れていた。
テレビの明かりで辺りを見回すと、リビングには何もない。
(夢……?)
徐々に醒めてくる頭で思い出してみると……年賀状の仕分けが終わった後、テレビを見ていて……テレビがあまり面白くなかったので、そのままうたた寝してしまったのだった。
そもそも、書き初めの宿題など出ていない。蘭の方もまた、高校で書き初めの宿題なんて出ていなかったはずだ。
頭にかかった霞みが晴れてきて、コナンはふと気付いた。
部屋が暗いままで、テレビがつけっぱなしということは……
「蘭ねーちゃん?」
コナンはこたつの反対側を覗き込んだ。案の定、そこには蘭が横たわっていたが、コナンの声に反応して身じろいだ。
うーんと伸びをして、目を開ける。ハッと気付いて、蘭はガバッと飛び起きた。
「やだ!もう真っ暗じゃない!今何時!?」
蘭もまた、コナン同様テレビを見ながらうたた寝してしまったのだ。
立ち上がり、部屋の明かりをつける。急に明るくなって、コナンは眩しさに目をぱちぱちさせた。
「晩ごはんの用意しないと!もうお父さんも帰ってくるだろうし〜〜!」
慌ててばたばたと動き出す蘭を、コナンはぼんやり見つめていた。
「お腹空いたでしょ、コナン君。おせちだし、すぐ用意できるからね!」
「あ、うん……」
慌ただしくキッチンに消えていく蘭の背中を見送って、することのないコナンは、再びこたつに座り込んだ。
台に顎を乗せ、ぼんやりとテレビを眺めながら……眺めてはいたが見てはいなかった……コナンはさっきの夢を思い出す。
(正月早々、なんて夢見てんだオレ……。欲求不満なのか……?)
確かに、今までにも現実で、蘭に触れたいと思うことは何度もあったが、あそこまで激しい衝動を覚えたことはない。
(あの年賀状のせいか……?)
平次からの年賀状に書かれてあったメッセージ。
夢の中でも、あの文章が頭を過ぎった。
(そうだ……絶対アイツのせいだ。全く、変なこと書きやがって……。でも……)
今度平次に会ったら文句の1つや2つ言ってやらないと気が済まない、とコナンは思いながらも、夢の中で触れた蘭の感触を思い出し、急に頬が熱くなった。
(なんか……リアルだったなぁ…………)
一方、急いで夕食の準備をしなければと焦る蘭は、使い慣れたキッチンで段取り良く支度を進めていた。
てきぱきと動き回っている間は夕食の支度のことしか頭になかったが、雑煮を火にかけて、温まるのを待つ空白の時間に、ふとさっきうたた寝した時に夢を見たことを思い出した。
(そういえば……さっき、なんかスゴイ夢見ちゃったような……)
少し考えて脳裏に浮かんだのは……コナンの鋭い視線、微笑、唇の感触……。
「あっ……!」
そこまで思い出して、蘭は思わず小さく声を上げた。
頬は急激に紅潮し、耳まで熱くなった。
(やだ……コナン君と……なんであんな夢……!)
鼓動もドキドキと早鐘を打ち始め、蘭は気持ちを抑えようと頬に手を当ててさすった。
蘭は今まで、コナンと“そんな風”になることなんて、全く考えたことがなかった。
何故ならコナンは『子供』であるからだ。
それに、蘭には思い人がいて……コナンが“そのような”対象に入る余地はなかった。
だから、どうしてあんな夢を見たのかがわからない。
だが、しばらく考えて、蘭は1つ思い当たることを見つけた。
(年賀状……)
園子と和葉の年賀状。
そこには、どちらとも『コナンと付き合ってる振りをしろ』という意味合いのことが書かれてあった。
(でもだからって……あんな……)
思い出すとやはり、顔が熱くなってしまう。
“付き合う”ということが“あんなこと”であると、自分の中ではそういう解釈になっているのだろうか?
それとも……コナンと“あんな風”になることを、心のどこかで望んでいる…………?
そんなことはない、と打ち消そうとしたが、蘭は夢の中の自分を思い出して、簡単に打ち消せなくなってしまった。
夢の中で蘭は……コナンに襲われ、抵抗したが本気では抵抗していなかった。
理性が働いていて、やめさせなければ、と思いつつも、愛撫を受け入れていた。
それは……本当は、心の奥底では、そうして欲しいと思っているのでは……?
(そんなことないわ!!)
蘭はとんでもないところに及んでしまった考えを振り払うように、ぶんぶんと頭を振った。
ハッと気が付くと、いらぬことを考えている間に鍋はすっかり煮立っていた。
慌てて火を止め、鍋をリビングに運ぼうと取っ手を持った。
「熱ッ!!」
持ちかけて少し宙に浮いたところで手を離され、鍋はガシャンと派手な音を立てた。
火に掛けすぎて、鍋の取っ手までもが熱くなってしまっていたのである。
その音と蘭の声に、夢の中の蘭の感触を思い出してぼんやりしていたコナンは、ハッと我に返った。
「どうしたの!?蘭ねーちゃん、大丈夫!?」
「うん、すぐに離したから………」
言いかけて振り返る。
そこには、キッチンに駆け付けたコナンがいた。
顔を見て、お互い、今し方考えていたことを思い出す。
(あっ……!)
2人とも、お互いの顔を直視できなくて、同時にサッと顔を逸らせた。
火が出そうなくらい、また顔が熱くなった。心臓も早鐘のように鳴っている。
「ももももうできたから!ああああっちで待ってて!」
「わわわわかったよ、ら、蘭ねーちゃん!」
明らかに動揺した物言いである。
しかし、2人とも動揺しているので、お互いにお互いがおかしいとは気付かなかった。
(ああ〜〜もう〜〜!なんか変に意識しちゃうじゃない……!
お父さん、早く帰って来ないかなぁ〜〜…………)
(ったく……妙に意識しちまうじゃねーか……!
とりあえず、おっちゃん早く帰って来てくれよ……!)
普段では考えられないくらい、必要とされる小五郎であった。
とその時、電話が鳴った。
意識がお互い以外に逸れることに、蘭もコナンも少しホッとした。
助けに船とばかりに、蘭は小走りにリビングに行き、電話に出た。
「もしもし……あ、お父さん?」
電話は、今いちばん2人に必要とされている人物からであった。
心なしか、蘭の声も弾んでいる。
「うん……うん………………えっ!今なんて!?」
しかし、その声は急に調子が変わった。
「んも〜……しょうがないわね〜〜……わかったよ……うん、じゃあね」
低いトーンで電話を切った蘭に、コナンは恐る恐る聞いてみた。
「おじさん……なんて?」
コナンに聞かれ、蘭はいつもそうしているようにコナンの方を見て話そうとしたが、今はどうにもコナンの顔を見ることができない。キッチンに食器を取りに行くフリをして顔を合わせないようにしながら、蘭はコナンの問いに答えた。
「……麻雀仲間と今から新年会やることになったから、夕食いらないって」
蘭の電話の受け答えから予想できたとはいえ、頼みの綱が切れ、コナンもまた落胆した。
しかしそうとは悟られないように、いつものように答える。
「ふ〜〜ん、そうなんだ〜〜」
だが、少し声が裏返ってしまった。
どうにも、動揺が治まっていないようである。
こうなったら、さっさと食事を済ませて部屋に引きこもってしまおう……。
「じゃあ、食べちゃおっか」
こうして、ぎこちなく2人だけの夕食が始まった。
いつもは、何かしら会話をしながら食事をするが、今日は正月のめでたい良き日にもかかわらず、まるで通夜のように静かである。
(ヤバいなぁ……何か話した方がいいかなぁ……)
(んもう……意識しちゃって、いつもみたいにしゃべれないよ……)
いつもと違う様子に、相手が不審を抱いていないかと、2人は食べながら上目遣いで相手の様子をちらりと窺った。
同じタイミングで目線を上げたため、バチッと目が合う。その瞬間、2人はバッと目を逸らし、食べることに集中するフリをした。
(やっぱ……蘭の様子も変だよな……オレが変だからさすがに察されてるか……)
(きゃ〜〜きっとコナン君変に思ってる……!話しかけにくいんだろうな〜……)
しかしこのまま気まずい妙な雰囲気の中にいるのは苦しすぎる。
意を決して、何か話すことにした。
「あのさあ、蘭ねーちゃん!」
「コナン君、あのね!」
やはり同時である。
一瞬、2人とも詰まったが、ここで引き下がれば元の木阿弥である。
「こ、コナン君から言って!」
「蘭ねーちゃんから先に言いなよ!」
この譲り合いを何度かして、結局蘭から話すことになった。
「じゃあ………んっと……………………」
話しかけようとはしたものの、何を話すかまではちゃんと決めていなかった。
だが、あまりに言い渋っていると、またコナンに不審がられると思い、蘭は慌てて無難な話題を口にした。
「おせち、おいしい!?」
全然たいした質問ではないのに、蘭は思い切り力を込めて言ってしまった。
言った瞬間、しまったと蘭は思った。こんな風では、どっちにしろおかしいのはバレバレである。
「う、うん、おいしいよ!」
しかしコナンもまた、蘭と同じような返答をした。しかもにっこりと笑顔つきである。
やはり、妙な雰囲気からは抜け出せない。そして、ここで会話を終わらせてしまえば、もう二度と抜け出せないだろう。蘭は、咄嗟にコナンに聞き返した。
「よかった〜!で、コナン君の話はなに?」
振られて、コナンはうっと言葉に詰まった。コナンは『このおせち、おいしいね!』と、これまた無難なことを言おうと思っていたのである。
「おせちおいしいね、って言おうと思ってたんだ……ハハ……」
他に話題が思い付かず、コナンは素直に言った。
「そ、そう…………」
フフフハハハと妙な笑いを2人で零して、会話はそこで終わってしまった。
こういう時は、他のものに頼るしかない。
「て、テレビでも見よっか!」
しかしテレビはつけっぱなしであった。今まで、ついていたにも関わらず全然見てなかったのである。正しくは、見るどころではなかったのだが。
背中に冷や汗が流れるのを感じながら、コナンは慌ててリモコンを手に取った。
「この番組、おもしろくないからチャンネル変えてみよーっと!」
『キャーーーーーーーッ!!!』
適当にチャンネルを変えた瞬間、女の悲鳴が上がり、2人は反射的に画面を見つめた。
それは、探偵の性であり、今までに何度も事件に遭遇してきた故の条件反射であった。
『いやっ!やめてーーーッ!!!』
『オレはお前が欲しいんだ!もう逃げられないぜ!!』
テレビの中では男が無理矢理に女の服を脱がして襲おうとする、正にその瞬間のシーンであった。
コナンも蘭も、見覚えのあるシーンに心臓がどきりと飛び跳ねた。素早く、コナンはテレビのスイッチを切った。
「な、なんか今、おもしろいテレビやってないみたいだから消しとこっか!」
「そ、そうね!」
早口で言って、動揺しているのを相手に悟られないようにと、2人は再び食事に集中した。
(なんだって正月から、あんなショボいサスペンスドラマなんかやってんだよ……!)
(ああ、びっくりした……なんでこんな時間からあんなのやってるのよ……!)
テレビのシーンが、夢で見た場面をはっきりと連想させ、コナンも蘭もまた顔が紅潮した。
再び、沈黙が訪れる。
(…………でもこのままじゃ、ダメよね……なんとかしないと……)
食事をしているうちに、少し冷静になってきた蘭は思った。
たとえ食事が済んで、コナンと顔をつきあわせずに済むようにしたところで、同じ屋根の下にいるからにはまた顔を合わせる時が来る。時を置けば、普段通りに接することができるようになるのかもしれないが、ずっとぎくしゃくした状態が続いてしまうかもしれない。
(こういう時は、かえって近づいていった方がいいのかも……)
そうは思っても、ここまでコナンに対し意識してしまうと、なかなか勇気が出ない。
蘭は少し考えた後、思い付いて立ち上がり、キッチンへ行った。
コナンは、急に蘭が立ち上がったことに一瞬驚いたが、キッチンへ行ったのを見送って少しホッとした。蘭がいなくなったことで妙な空気が緩み、緊張が少し解れた。
しかしそれはほんの一瞬だった。蘭がすぐに戻ってきてしまったため、またコナンの背筋にピンと糸が張りつめられる。
心臓の鼓動を聞きながら、蘭が向かいに座るのを待った。が。
蘭は予想に反して、自分のすぐ横に座った。
(ら、蘭…………!?)
座る時に生じる空気の動きで、蘭の髪がふわりと浮いて、コナンの鼻腔に一瞬だけ良い香りが飛び込んできた。
それだけで、コナンの鼓動は最高速で打ち鳴らされた。
普段、ほとんど気にしないようなことが、今は強烈な刺激になってしまう。
自分が動いて生じる微かな変化でさえ刺激になりそうな気がして、コナンは身動ぎひとつせずに硬直してしまった。
すると、蘭はコナンの目の前に、コト、と静かに湯飲みを置いた。
そこに急須で注がれるお茶から立ち上る湯気から、今度はお茶のいい香りが漂ってきた。
「今日はお正月だから、いつものじゃなくてとっておきのお茶にしたのよ」
そう言った蘭の声は、なんだかとても綺麗な声に聞こえた。
「あ、ありがとう、蘭姉ちゃん」
お茶を持ってくることを口実にして、コナンに近づいた蘭であったが、ここまでが精一杯であった。コナンの動きもまだぎこちない。
これから先、どうしようかと思案しかけたその時。
窓の外に鮮烈な光を感じたかと思うと、次に凄まじい轟音が鳴り響いた。
「きゃあっ!!」
突然の雷鳴に驚いて、蘭は思わずコナンにしがみついた。
「うわっ!」
蘭が持ってきた湯飲みを取ろうと手を伸ばしかけたところへしがみつかれ、コナンの手は空を切って蘭の背中にまわされた。
雷鳴が収まり、蘭は今まで近づくことに躊躇していた張本人にしがみついてしまったことに気付き、慌ててバッと身体を離した。
「ごごごごごめん!!」
コナンの手を振りほどいて蘭の身体が離れる瞬間、コナンはほんの数秒だけ自分の身体に押しつけられた柔らかな感触が離れていくのを感じ、またカーッと頭に血が上って赤面した。
蘭もまた、予想外の出来事であったとはいえ、コナンに抱きしめられたことに、顔だけでなく耳まで赤くなった。
2人で顔を赤くして、もじもじしているところへ、2度目の雷が光った。
「きゃっ!!」
蘭は悲鳴を上げたが、今度はコナンにしがみつかないよう、自分で自分の耳をおさえ、ゴロゴロと鳴る音が聞こえないようにした。しかし、怖いものは怖い。蘭は怖くて、ぶるぶると震えた。
「もう……雷が鳴るなんて、天気予報で言ってなかったじゃない……!」
震える小声で呟く蘭を見て、コナンの頭が冷めていく。
本当にそんなことがあったわけではないのに、顔を赤くしてドキドキして、ぎくしゃくしたまま過ごすのは、なんて馬鹿らしいことなのか。
大嫌いな雷が鳴って、怖がって震えている蘭が側にいるのに。蘭の側にいるのに。何もせずにこうしているのは、不本意なことではないのか。
コナンは、震える蘭の手に、自分の手をそっと重ねた。
ビクッと蘭が驚いて身体を大きく震わせたが、かまわずその手を柔らかく握る。
「蘭姉ちゃん、ボクが側にいるから。雷なんて、怖くないよ?」
穏やかなコナンの声に、蘭は思わず顔を上げた。
コナンがやさしい眼差しで蘭を見、うなずくのを見て、蘭は理解した。園子も和葉も、どうしてコナンの名を出したのかを。
新一がいない今、蘭の側にいつもいて、蘭に危険が迫った時に、命を賭して蘭を守ってくれるのは彼だ。落ち込んだ時に、心を支えてくれるのも。
そんなコナンを、蘭が頼りにしていることを、園子も和葉も少なからず理解していたのだ。だからこそ、他の誰でもない、コナンの名が出てきたのであろう。
窓の外は、まだ時折稲光が光り、雷鳴も聞こえてきた。
やはり怖かったが、コナンがこうして側にいてくれるから、安心できる。
コナンは、雷が鳴り終わるまで、ずっと蘭の手を握っていてくれた。
ようやくいつも通りの2人に戻り、つつがなく夕食は終わった。
後片づけをしながら、リビングでぼんやりテレビを見ているコナンをちらと見て、蘭は思った。
今度、新一から電話がかかってきたら、本当に“コナン君と付き合ってるの♪”と言ってやろうかな、と。
終
2004.1.3