初春                       草紙剥/作





いつもは静寂に包まれる深夜。
しかし、今夜は空気がざわめいている。


除夜の鐘の音が、夜空に響き渡る。
それだけでも、破られている静寂。
しかし、空気を揺るがしているのはそればかりではない。
もうすぐ変わる日付。
もうすぐやってくる、新しい年。
変わるその時、まっさきに挨拶するために、いつもは出歩かない時間に、人々は街に溢れていた。

そんな中に、コナンと蘭もいた。




数十分前。




「あれ?今から出かけるの?」

そろそろ寝ようと支度をし始めたコナンとは逆に、蘭はしっかりとコートを着込んでいた。

「うん。初詣に行ってくる」

「園子ねーちゃんと?」

「ううん。ひとりで」

「ひとりで!?」

てっきり、園子あたりと一緒に行く約束でもしたのかと思いきや、そうではないらしい。
コナンは驚いて声を上げた。

「いくらなんでも危ないよ!夜なんだから!ちょっと待ってて!」


そうしてコナンも一緒に行くことになったのである。




近くにある、小さな神社。
普段はほとんど訪れる人はなく、ひっそりとした場所であるが、今日から数日は別である。
信心があるためなのか、単に行事としてなのか。
例外に漏れず、その境内はすでに、人の海と化していた。

「コナン君、いるー?」

「いるよ!蘭ねーちゃん!」

「はぐれないように、手をはなさないでね!」

人混みではぐれると、お互いが迷子になってしまう。
それを防ぐため、2人はしっかりと手をつないでいた。

手袋をしていても、伝わってくる体温。
たったそれだけで、蘭はひどく安心するのを感じていた。



「あけましておめでとうー!」
「今年もよろしくね!!」



いつの間にやら年が明けたらしく、周囲からそんな声が聞こえてきた。
遠くの方で、年明けを祝う花火が上がっている音も聞こえてくる。

しかし、人に揉まれている蘭とコナンは、お互いに挨拶などする余裕はなかった。
人の流れに流されながら、ようやく辿り着いた社の前で、賽銭を投げ、人に押されながら手を合わせる。
やっとの思いで参拝を済ませた蘭は、人気の少ない方へと逃げ、ようやく人混みから解放された。


フゥ、と一息吐こうとして、蘭はハッと気付き、辺りを見回した。

「あれ?コナン君?」

さっきまでちゃんと横にいたはずのコナンがいない。
社の前に到達するまではしっかり手をつないでいたというのに、参拝した時に手を離して、そのまま離れたままだったのだ。

「コナン君?コナンくーーん!」

呼びながら蘭は、近くを探してみた。
しかし、返事はない。
蘭は思わず、自分の手を握りしめた。
さっき感じていたあたたかさはなく、冷たい。
さっき感じていた安心感はなく、不安に駆られる……。

蘭は急に心細くなって、その場に座り込んでしまった。
本当は、走り回ってコナンを捜したかったのだが、人が多くてそれができない。
どうしようもなくなって、思わず座り込んでしまったのだ。


冷たい夜風が吹いてくる。
その風は、着込んだコートをすり抜けて、心の中にまで吹き込んで来るような気がした。
と、その時。

「蘭ねーちゃーーん!」

コナンの声が聞こえたような気がして、蘭はハッと顔を上げた。
でも、コナンの姿は見えない。

「蘭ねえちゃん!」

もう1度、声が聞こえたかと思うと、目の前の人ごみをかき分けるようにして、コナンが現れた。

「コナン君!!」

「大丈夫!?顔色悪いよ?休めるとこ行こっか?」

ずいぶんと人に揉まれて来たらしく、コナンの髪や服装は大変乱れていた。
しかし、コナンはそれよりも蘭のことが気になっている様子で、心配そうに蘭の顔を覗き込んでいる。

蘭は思わず、コナンを抱きしめた。

「よかった……コナン君…………」

「ら、蘭ねえちゃん……?」







「わあ……米花町がキレイに見えるねぇ……」

「でしょ?ボクも夜に来るのは初めてだけど。探偵団は皆知ってる場所なんだよ。隠れ場所だからね」

コナンは、具合の悪そうな蘭を、人気の少ない社の裏手に連れて来ていた。
すこし小高い場所にある神社の裏からは、町並みがよく見える。
故に、夜は夜景が美しく見えた。
2人で石段に座り、出店で買ってきた甘酒を手に一休みしながら、それを眺めていたのであった。

「隠れ場所って?」

そう聞かれて、コナンは少し渋い顔をした。

「ああ…………“かくれんぼ”のね…………」

探偵団と“子供らしい遊び”をすることを、コナンが良しとしていないことを蘭は知っていたので、それを聞いて蘭はくすくす笑った。

「もう大丈夫みたいだね」

蘭が笑ったことに、コナンも少し安堵した。

「うん。ごめんね。コナン君がいなくなっちゃったから、なんだか急に不安になっちゃって……」

それでさっき、あんな風に抱きしめられたのかと、コナンはようやくそこで理解した。

「拝んだ後、すんごく人に押されちゃってさ。蘭ねえちゃんと、反対側に流されちゃったんだよ。
 蘭ねえちゃんが呼んでるのは聞こえたんだけど、なかなか行けなくて……」

それを聞き、蘭は人混みからコナンが現れた時のことを思い出した。
コナンの格好が、ずいぶんと乱れていたのが目に浮かんで、蘭は思わず吹き出した。

「コナン君、すごい格好だったよ?あはははは……」

「蘭ねえちゃん、ひどーい!蘭ねえちゃんが座り込んじゃうから、心配して急いで行ったのに!」

蘭は笑いながら、むくれるコナンの手に、そっと自分の手を重ねた。
それに驚いて、コナンは一瞬にして真顔になり、蘭の顔を見た。

「……人混みの中で、ずっと手をつないでた時。
 コナン君の顔が見えなくても、コナン君の手が温かかったから、すごく安心だったの。
 それがなくなっちゃったから、不安になっちゃったけど……」

そう言って、蘭はコナンを見つめた。
その顔に、幸せそうな微笑を湛えて。

「今はもう、大丈夫。こうしてコナン君と、また手をつなげるから……」

うっとりと見つめてくる瞳に、呑まれそうになる。
いや、呑まれてもいい…………と思った。

「うふふ、何か変ね、わたし。酔っちゃったかな?」

「甘酒で?」

確かに、蘭はさっきとは打って変わって上機嫌になった。
頬がほんのりと紅く染まっているのは、本当に酔ったためのものなのか。

「ねえ、コナン君」

蘭は、遠くの街の明かりを瞳に浮かべながら言った。

「何?」

コナンは、その横顔を見つめる。
まだ少し、不安の残るような表情……。

「ずっとそばにいてね。
 どこかに行っちゃわないで……新一みたいに」

その言葉が、コナンの心に突き刺さり、コナンの心臓がどくんと跳ねた。
そして、その一言で、コナンは全てを悟った。

忘れていたが、以前にもこうして蘭と初詣をしたことがある。
“新一”として……。
その時にした願い事が、後になって叶ったのだ。
だから蘭は……“叶えたい願い事”をしに、あの時と同じようにここへ来たのであろう。

「…………ごめん。なんだか勝手よね。わたしって……」

その“願い事”が、今、蘭が言ったことかどうかはわからないが。

「うん。行かないよ」

もう行けないし、と小さく言ったのは、蘭には聞こえなかった。

「ずっと蘭ねえちゃんのそばにいるよ?」

決して、その場しのぎの返答ではないことを示す、真摯な瞳。
それを見て、蘭もまた真剣な眼差しをコナンに向けた。

「……本当?」

コナンは小さく頷いて言った。

「ここをどこだと思ってるの?
 神様のいる所で……それも元旦に。嘘なんて言わないよ」

吐く息が白い。
つないだ手はあたたかい。
体温を感じるように。

「……誓うよ」

コナンがそう言った後、2人はどちらからともなく目蓋を閉じ、唇を重ねた。
2人の唇が、2人の体温に変わるまで。
やがてその体温が、心の中にまで染み渡り、黒い欠片が溶けるまで。





「…………そう言えば、まだ言ってなかったね」

帰り道。
もう、人影はまばらにはなっていたが、コナンと蘭はしっかりと手をつないで歩いていた。

「何を?」

コナンは不思議そうに、蘭の顔を見上げた。

「あけましておめでとう、コナン君。今年もよろしくね」

蘭に新年の挨拶をされ、ああそうか、という顔になり、コナンも蘭に挨拶をする。

「あけましておめでとう、蘭ねえちゃん。
 今年も、ずっとその先も…………よろしくね」

それを聞き、蘭はまた笑う。

「こちらこそ!」


東の空は、そろそろ白み始めていた。
もうすぐ、初日がこの街を照らす。











2003.1.1